モアモラトリアム

生きづらい人間の感じたことをつらつらと

近況のお話

私は元々精神科に通っていました。まだ働く気も起きず、家に来ていたハガキに書いていた子宮がん検診を暇だしなーという軽い気持ちで受けました。すると子宮内膜腫で、特に卵巣に腫瘍ができるチョコレート嚢胞でした。びっくり仰天でしたがまあ仕方ない、自分の体だもんなってことで治療が開始。その持病が増えたことも受け入れつつあった頃、私は色々あって就労支援を受けることにしようと思い立ち、さまざまな手続きものと手帳持ちになりました。そう言った手続きは苦手で、何度も自分の書類の名前を間違えることが自分の異質さを引き立てるようで自己嫌悪しました。それでも何にもなかったように書類は受理され、私は名実共に障害者となったのです。

そしていざ働こう!まずは見学だ!という時に定期検査として子宮頸がん検診と腫瘍マーカーを受けたのです。子宮頚がんはなんともありませんでした。なんと腫瘍マーカーの数値が基準値よりも高く、卵巣が癌化している可能性があるとのこと。ガンの可能性がある中入所しても迷惑がかかるのでは、と思い少し延期に。再検査まで3ヶ月待ってくださいとのことだったので、それまで何もしていないのも辛いとおもい、前々から話にあがっていた発達検査をしてみることに。これがもうしんどかった。やってる間は全然平気でむしろ元気だったのだけれど、終了後家までの帰り道電車で久しぶりに酔いました。

3ヶ月が立ったので来週に再検査を受けます。発達検査の結果は今月か来月に教えてもらえるみたい。そのすべての結果が私の今後の人生に大きく作用することになるのでドキドキしています。まずはガンじゃありませんように。次に知能検査は得意不得意を理解できますように。そしてその二つがクリアできたうえで就労支援をどういう形で受けるか見学して考えたい!

私の中の言葉や映像の話

私の中には、常に何かしらの言葉があります。それが文章になることもあれば、多く出現することもあります。日常生活には様々な場面がありますが、例えば人と話している時や、一人で本を読んでいる時。そうやって日々を過ごしている時にもそれは現れます。

それらの言葉は時に文章になり、文章が声になり、映像をともなうこともあります。ただの音声や音楽のこともあります。一種の夢のようで、そういった断片が物語のように繋がることがあるのです。その物語は支離滅裂で、場面転換も急で、その点でも夢のようなのです。

思考する意識の傍に流れている川のようなところでそれらが流れており、思考に時折ジャミングが入る感覚です。

普通の会話をしているつもりでも、その言葉に邪魔されて集中できなかったり、その言葉をそのまま言ってしまったり、不自由な状況はさまざまです。

これを一人に話すとそんな経験がないのでわからないと言われてしまいました。

正しく言葉にできているかは分かりません。私の体験を追えた方がいるのか、同様の体験を想起した方がいるのか、分かりません。

ただこの文章を書いている現在、睡眠導入剤を服用して思考の横に流れる川に浸かっている状態で文章を書いているので、意味のわからなさがあればそれは私の思考を体験した言うことです。

この文章によって私もそうだ!と言う方がひとりでもいたらとても嬉しいです。一人じゃないという確信が得られます。逆に一人じゃないと勇気をもらった人も嬉しいです。こんな私ですがお揃いです。よろしくお願いします。

サイゼリヤのお話

私、サイゼリヤがとても大好きなんです。そういう私から言わせてもらうと、今話題の「サイゼリヤで喜ぶ彼女」の絵はとても悲しいものでした。

どのあたりが悲しいかと言うと、まず「で」という接続詞が使用されたことですね。で、と言うことでまずサイゼリヤの価値を下げ、次にその程度で喜ぶ女として彼女も下げられているからです。

サイゼリヤ、とっても美味しいです。店や日によって味が違うことがありますが、半熟卵のペペロンチーノなんか私は定期的に食べたくなります。ただし、あのお店は大衆向けであり、常に騒がしく、隣の席との仕切りもガラス製で、丸見えとはいきませんがすりガラスのように少し透けています。つまり、レストランよりも周囲の存在が耳や目からも容易に入り、個室居酒屋などよりも開かれた空間です。何より単価が安く、お手頃ではありますが、そこにデートで行って「お前はこれで嫌がるのか」なんて見定めに使われるなんてもってのほかです。

なんでも、関係性や状況って大事だと思うんですが、今回サイゼリヤで喜ぶ彼女の話ではそれがすっぽ抜けたお話が多かったです。多くの否定派はそれに関する指摘も多く、私自身もその意見に賛同しました。(私同様サイゼリヤが好き、と言う方も多かったと思います。)ただ肯定派の人たちは、そんな意見は聞かず、「サイゼリヤで嫌がる女は高飛車である」といったようなニュアンスのことしか言わず、絵をオマージュした写真を撮ってネタとして楽しむ人もちらほら見かけました。嫌がる人、嫌がる人を擁護する人の主張などどうでもよく、嫌がる人を高飛車で、喜ぶ人を(従順な、をつけてもいいかも知れません。)いい女として、その上で派生させたネタで楽しむ、と言う形で全くもってこちらに耳を向けません。おそらく別に議論する気はないんでしょう。ただどことなく嫌味なだけで。その嫌味に対する他者の反応はどうでもいいんです。

 

毎回この手の話題は定期的に上がりますよね。例えば4℃プレゼント問題。あれも結局は「自分が彼女につけてほしい物」と「彼女が欲しがっている物」に齟齬が生じているだけで、何も4℃は悪くないんです。ただその確率が高まる要因はそちらもジュエリーにしてはお買い得なんですよね。あと、女の子はこう言うのが好きなんだろう、もしくは女性にはこう言う可愛いものをつけていてほしいと言う考えや願望の元何を買うか選ぶんですよね。

可愛いものって実は難しくて、アクセサリーや服など何にしても、それ一つの個性が強すぎるんです。なので毎日はつけられないし、服の趣味が合わなければ一生日の目を見ません。なので、外から見える形でつける、ファッションに関連するようなものは、その人の個人的趣味をきちんと理解するべきですね。

あとはもしそれと少し方向的にずれても、挑戦してもいいと思えるほどのものでなければなりません。プレゼントとは、相手のことをおもって選ぶ物ですからね。私は友人へのプレゼントでは、まあいらなかったら捨てていいからさ、こう言うの挑戦してみなよ!といったようなものを渡し、実際にそれを伝えるので、そう思う方は自分の思いをふんだんに入れたものをプレゼントしてもいいと思います。レシートを添えて返品できるようにしてもいいですね。ただそう言う気持ちはなく、大事にしてほしいと思うのであれば、きちんと相手のことを考えればいいのです。

可愛いものが好きな女性も、かっこいいものが好きが女性も、シンプルなものが好きな女性も、アクセサリー自体に興味がない女性もいます。男性も同様です。異性のファッションって難しいですよね。同性であっても違うジャンルを好きな人に渡すのはとても困ります。それにその人が好きなものを完璧に理解することなんて本当に困難なことです。でも失敗もありながら、相手のことを思って選べばそれは相手に伝わると思います。

 

総じて言えるのは、相手の好みやお互いの関係性、状況などに応じた選択をしたいですね、という話です。食事なんかは雰囲気や気分なども重要ですね。多くはデートなどでのお話ですし、それをお互い擦り合わせて考慮できればなおいいと思います。何事も押しつけは良くないですし。

そんな当たり前のお話だと思います。ただ、これは私にとっての当たり前ですから、話題に事欠かないんでしょうね。人間って難しい!!

夜は眠れないよね

夜ってなんでこんなに寂しくなるんでしょうね。

部屋を暗くして静かにして目を瞑ると、よくわからない家電の音とか家鳴りとか風とか時には雨とか、いろんな音が気になって、自分の輪郭がぼやぼやと溶け出してぐにゃぐにゃになって世界と一体になって、でもなんだかきゅう、と縮こまったような気もして、ああ世界で一人ぼっちなんだ、とか、このまま消えて無くなるのか、いっそのことなくなりたいな、とか色々考えてしまって、いつのまにか涙が出てきます。

鼻が詰まって息ができなくて、眠れません。

困ったものですね。

なぜ女性は安全ピンで反撃しようとするのか

最近、ツイッターで痴漢された場合の対処法の一つとして、安全ピンで痴漢の手をさす、引っ掻くというものが上がって、話題になっている。

なぜ女性は安全ピンで反撃しようとするのか。

その答えは明確で、反撃の手段として互いに一番軽傷で済むものであるから。

 

みなさん安全ピンで自分の指を皮一枚で刺して、血が出ないように通す遊び、小学生の時にしませんでした?

名札の安全ピンを、指にさすのです。

血が出ないように頑張っても、たまに失敗して血が出てしまうことがありました。

ただ、小学生の頃の記憶ではありますが、多少痛くとも、「いってー!」とフランクに笑えるくらいの痛さです。

なので、相手に致命傷は与えたくはないが、痴漢をやめさせたい時にはちょうどいいと思います。

 

そしてなぜ痴漢をやめてと口で言わないか。

口で言えば犯罪が表に出て、性犯罪被害者となります。今日本では性犯罪被害者の立場は限りなく弱い。「気持ちよかったしいいでしょ」とかAVの見過ぎな人がいたり、「ブスのくせに」「モテアピール?」と言ってくる人がいたり、「加害者の人生がどうなってもいいのか」とわけのわからないことを言うひとが多い。

痴漢は気持ちよくなんかないしむしろ不快だし、痴漢は何も被害を訴えなさそうな人を選んで行う卑劣な行為だし、加害者は自分が自らそれを選んでるんだからどうぞどうぞ加害者としての人生を全うしてくださいという感じです。

ただ、実際被害者の立場になると、そう言う人たちの声が頭に響いて、何もできなくなる。

せめてもの反攻として逃げようとするけど、執拗に追ってくる。

そういう時、安全ピンというのは無言で反撃するときに一番有効な手段です。

痴漢の手を払うのもいいですが、触りたくないですしね。

 

よく痴漢の話になると加害者の人生の話になります。しかし被害者にも人生はあります。

犯罪被害を受ける時も、これから用事がある時が大半です。痴漢を捕まえるための手続きは時間が惜しいという人もいるでしょう。本当は捕まえるのが一番いいかもしれませんが、そんな時間は無いし声を上げる勇気もないです。

安全ピンは、痴漢と同等の反撃ではなく、非常に軽い反撃です。その傷を元に被害を訴えることもできます。まず声をあげるよりも小さなワンステップとして針で反撃することはそんなにいけないことでしょうか。私は全然いいと思います。それよりも満員電車でつま先をかかとで踏まれる方が痛いです。怯えている人たち、大丈夫ですよ。

最近調子が良かった

最近私の気分は絶好調。ウキウキウォッチングでした。

しかし、それは勘違いだったのかもしれません。

 

私は最近絶不調です。絶好調の時にしでかしたことが負担になっています。正直しんどいです。

なんだか見覚えがあるような気がします。

そう、躁状態うつ状態です。

それを行き来しているような感じがします。最近ずっとそうです。

この上がり下がりはしんどいですね。

昨日は、なんだか無性に何かしたくて、自傷はダメだ、と思ったので服のボタンを噛んでました。

ボタンを飲み込もうと思って噛み切ろうとしたのですが、案外ボタンは頑丈で、噛みきれず不味かったので食べませんでした。

ただ、サバイバル術で喉を潤す時に小石を舐めればいい、というのがあって、唾液が出てそれで喉を潤すと言っていた意味がわかりました。おそらく私はサバイバルでも生きていけるでしょう。

最近自分の体が変

私は小さい時から自分の体が自分の体じゃないような感覚に陥ることが時々あって、ここ最近それが増えてた。

ところがいまではそれが常日頃で、体の輪郭より先に自分の感覚が動いて、輪郭に感覚がぶつかってビリビリするような感じがしてた。

これはおかしいと思って自分で調べてみたら、離人感というやつらしい。

 

高校生の時、黒子のバスケが流行ってた時は「これゾーンちゃう????」ってはしゃいでたのに、鬱の症状の一つとか。もう世の中を知ったような顔になってしまってた。

 

でも先生に聞いてみたら、薬を変えて、前の薬の抜ける時の副作用とのこと。なんとまあ、そんなことだったの。じゃあ大丈夫か〜、とそれまでも似たような感覚に陥っていたことに関しては蓋をしました。

 

 

そして、このまま真っ当に生きていける気がしないので、画家か小説家か音楽家になりたかったんですが、才能もないのでYouTuberになろうかと思って、こないだカメラを買ってしまった……アクティブ系の防水とかもできるWi-fiつきのええやつ……安いの見つけて3000円くらい……しかもなんと親の金……海外の通販サイトのやつやから届くのめっちゃ先やけど……

 

まあ今こんな状況なので働けてないんですけど、なんか親優しすぎると思う。私が「これ欲しい」と毎回相談しに行くと、「ええやん、これやすいし。」と快諾してくれる……ありがとう。救われて生きてる。たまにめちゃくちゃ傷つけられるけど。心抉られてコンプレックスバチバチ掻き立てられるけど。でもちゃんと介護しなあかんようになったらめっちゃ丁寧にするしお墓入ったらちゃんと綺麗にしてお参りするね。それまでは多分私の方が迷惑かけると思うけど。

 

ありがとう。たまに大嫌いになるけど、今は大好き期間です。現金でごめんね。

 

もうなんの話?って感じやし、

 

おわり