モアモラトリアム

生きづらい人間の感じたことをつらつらと

サイゼリヤのお話

私、サイゼリヤがとても大好きなんです。そういう私から言わせてもらうと、今話題の「サイゼリヤで喜ぶ彼女」の絵はとても悲しいものでした。

どのあたりが悲しいかと言うと、まず「で」という接続詞が使用されたことですね。で、と言うことでまずサイゼリヤの価値を下げ、次にその程度で喜ぶ女として彼女も下げられているからです。

サイゼリヤ、とっても美味しいです。店や日によって味が違うことがありますが、半熟卵のペペロンチーノなんか私は定期的に食べたくなります。ただし、あのお店は大衆向けであり、常に騒がしく、隣の席との仕切りもガラス製で、丸見えとはいきませんがすりガラスのように少し透けています。つまり、レストランよりも周囲の存在が耳や目からも容易に入り、個室居酒屋などよりも開かれた空間です。何より単価が安く、お手頃ではありますが、そこにデートで行って「お前はこれで嫌がるのか」なんて見定めに使われるなんてもってのほかです。

なんでも、関係性や状況って大事だと思うんですが、今回サイゼリヤで喜ぶ彼女の話ではそれがすっぽ抜けたお話が多かったです。多くの否定派はそれに関する指摘も多く、私自身もその意見に賛同しました。(私同様サイゼリヤが好き、と言う方も多かったと思います。)ただ肯定派の人たちは、そんな意見は聞かず、「サイゼリヤで嫌がる女は高飛車である」といったようなニュアンスのことしか言わず、絵をオマージュした写真を撮ってネタとして楽しむ人もちらほら見かけました。嫌がる人、嫌がる人を擁護する人の主張などどうでもよく、嫌がる人を高飛車で、喜ぶ人を(従順な、をつけてもいいかも知れません。)いい女として、その上で派生させたネタで楽しむ、と言う形で全くもってこちらに耳を向けません。おそらく別に議論する気はないんでしょう。ただどことなく嫌味なだけで。その嫌味に対する他者の反応はどうでもいいんです。

 

毎回この手の話題は定期的に上がりますよね。例えば4℃プレゼント問題。あれも結局は「自分が彼女につけてほしい物」と「彼女が欲しがっている物」に齟齬が生じているだけで、何も4℃は悪くないんです。ただその確率が高まる要因はそちらもジュエリーにしてはお買い得なんですよね。あと、女の子はこう言うのが好きなんだろう、もしくは女性にはこう言う可愛いものをつけていてほしいと言う考えや願望の元何を買うか選ぶんですよね。

可愛いものって実は難しくて、アクセサリーや服など何にしても、それ一つの個性が強すぎるんです。なので毎日はつけられないし、服の趣味が合わなければ一生日の目を見ません。なので、外から見える形でつける、ファッションに関連するようなものは、その人の個人的趣味をきちんと理解するべきですね。

あとはもしそれと少し方向的にずれても、挑戦してもいいと思えるほどのものでなければなりません。プレゼントとは、相手のことをおもって選ぶ物ですからね。私は友人へのプレゼントでは、まあいらなかったら捨てていいからさ、こう言うの挑戦してみなよ!といったようなものを渡し、実際にそれを伝えるので、そう思う方は自分の思いをふんだんに入れたものをプレゼントしてもいいと思います。レシートを添えて返品できるようにしてもいいですね。ただそう言う気持ちはなく、大事にしてほしいと思うのであれば、きちんと相手のことを考えればいいのです。

可愛いものが好きな女性も、かっこいいものが好きが女性も、シンプルなものが好きな女性も、アクセサリー自体に興味がない女性もいます。男性も同様です。異性のファッションって難しいですよね。同性であっても違うジャンルを好きな人に渡すのはとても困ります。それにその人が好きなものを完璧に理解することなんて本当に困難なことです。でも失敗もありながら、相手のことを思って選べばそれは相手に伝わると思います。

 

総じて言えるのは、相手の好みやお互いの関係性、状況などに応じた選択をしたいですね、という話です。食事なんかは雰囲気や気分なども重要ですね。多くはデートなどでのお話ですし、それをお互い擦り合わせて考慮できればなおいいと思います。何事も押しつけは良くないですし。

そんな当たり前のお話だと思います。ただ、これは私にとっての当たり前ですから、話題に事欠かないんでしょうね。人間って難しい!!