モアモラトリアム

生きづらい人間の感じたことをつらつらと

私の中の言葉や映像の話

私の中には、常に何かしらの言葉があります。それが文章になることもあれば、多く出現することもあります。日常生活には様々な場面がありますが、例えば人と話している時や、一人で本を読んでいる時。そうやって日々を過ごしている時にもそれは現れます。

それらの言葉は時に文章になり、文章が声になり、映像をともなうこともあります。ただの音声や音楽のこともあります。一種の夢のようで、そういった断片が物語のように繋がることがあるのです。その物語は支離滅裂で、場面転換も急で、その点でも夢のようなのです。

思考する意識の傍に流れている川のようなところでそれらが流れており、思考に時折ジャミングが入る感覚です。

普通の会話をしているつもりでも、その言葉に邪魔されて集中できなかったり、その言葉をそのまま言ってしまったり、不自由な状況はさまざまです。

これを一人に話すとそんな経験がないのでわからないと言われてしまいました。

正しく言葉にできているかは分かりません。私の体験を追えた方がいるのか、同様の体験を想起した方がいるのか、分かりません。

ただこの文章を書いている現在、睡眠導入剤を服用して思考の横に流れる川に浸かっている状態で文章を書いているので、意味のわからなさがあればそれは私の思考を体験した言うことです。

この文章によって私もそうだ!と言う方がひとりでもいたらとても嬉しいです。一人じゃないという確信が得られます。逆に一人じゃないと勇気をもらった人も嬉しいです。こんな私ですがお揃いです。よろしくお願いします。